「正しさ」よりも「心地よさ」を

 
人間関係、とりわけパートナー間で「正しさ」という尺度ではなく、「心地よさ」という尺度でも考えた方が、うまくいくと思う。
 
誰もが一度は、人間関係において「正しさ」を主張することが、あまり効果的ではない、というような話を聞いたことがあるのではないだろうか。
 
いったいなぜそのように言われているのか。
気になったので、考えてみた。
 
 

「正しさ」で溢れている世界

 
僕らは、様々な場面で「正しさ」を主張したり、相手の「不正」(正しくないこと)を主張したりする。
  • 「割り込みはしないで下さい!」
    • 〜列に並んでいたところ、急に横から割り込みをされて、相手の「不正」を主張する〜
  • 「今日までに納入するって契約じゃないですか!」
    • 〜取引先が契約通りに商品を納入できそうにないと言ってきた時に、契約書を根拠にこちら側の「正しさ」を主張する〜
 
法律はその最たる例であるが、それ以外にもマナーや慣習、あるいは常識と呼ばれるような曖昧なものまで、「正しさ」として語られていたりする。
世界は、「正しさ」で溢れている。
 
では、いったいなぜ、僕らは「正しさ」や「不正」(正しくなさ)を主張するのだろうか。
 
 

「正しさ」や「不正」を主張する目的

 
まずは、世界でどのような目的で「正しさ」が主張されているか考えてみる。
もっともらしい目的としては、大切なものを守るため、というものだ。
 
先に挙げた例で言うならば、下記のような目的があるだろう。
  • 「お釣りが200円足りません。」
    • 〜お釣りの金額が間違っている時、「正しい」お釣りの金額を主張する
      目的:自分のお金を守るため
  • 「今日までに納入するって契約じゃないですか!!」
    • 〜取引先が契約通りに商品を納入できそうにないと言ってきた時に、契約書を根拠にこちら側の「正しさ」を主張する〜
      目的:自社の利益を守るため
  • 「割り込みはしないで下さい!」
    • 〜列に並んでいたところ、急に横から割り込みをされて、相手の「不正」を主張する〜
      目的:自分の権利(や他に並んでいる人の権利)を守るため
 
大切なものを守るために「正しさ」を主張したり、「不正」を指摘することは、何ら悪いことではないと思う。
むしろ、大切なものを守るためであるならば、積極的に「正しさ」を主張すべきだと思う。
 
 
次に、パートナー間でどのような目的で「正しさ」が主張されているか考えてみる。
どんな場面で「正しさ」が主張されるか思いつくものを挙げてみると
  • 「家でご飯食べるって約束したじゃん!」
    • 〜もともと家でご飯を食べるという約束だったのに、パートナーに急な会食が入り家で一緒にご飯が食べれなかったことに対して、約束を根拠に自分の「正しさ」を主張する〜
  • 「チェックリスト作ったらって言ってたじゃん!」
    • 〜よく忘れ物をするパートナーに、次はチェックリストを作っておこうね、と以前話をしていたのに、チェックリストを作らず再び忘れ物をしたので、前話していたことを根拠に自分の「正しさ」を主張する。〜
  • 「なんで左折するところ教えてくれなかったの!」
    • 〜助手席でナビを依頼していたのに、左折のポイントを逃したパートナーに対して、依頼を承諾していたことを根拠に相手の「不正」を主張する〜
  • 「ゴミ出ししてないじゃん!」
    • 〜ゴミ出しをする、という約束が果たされていなくて、約束を根拠にパートナーの「不正」を主張する〜
 
では、パートナー間において「正しさ」を主張したり、相手の「不正」を主張したりするのは、いったい何の目的で行われるのだろうか。
 
もし目的が大切なものを守るためだとするならば、あなたはいったいどんな大切なものを守るために「正しさ」を主張しているのだろうか。
パートナー間において、ただ単に相手を打ち負かすために、自分の正しさを主張してはいないだろうか。
 
そして、まさにその時、そこには愛はあるのだろうか。
 
 

「心地よさ」から始めよう

 
「正しさ」を主張しないのであれば、どうすればいいのだろうか。
 
何が「正しい」かではなく、何が「心地よい」かを追求することを提案したい。
すると、「正しさ」の観点では見えなかった、様々な点が見えてくる。
 
具体的なステップについて解説する。
 
 

1.お互いの「心地よさ」の度合いを確認する

先の例で言うならば、
もともと家でご飯を食べるという約束だったのに、パートナーに急な会食が入り家で一緒にご飯が食べれなかったこと
であれば、
家でご飯を楽しみに待っていた側としては、約束が果たされず心地よくなかった、というのはありそうだ。それ以外にも、実は1人でご飯を食べるというのが、心地が良くないというのも出てくるかも知れない。
 
会食が入り約束を果たせなかった側はどうだろうか。
会食が入り約束を果たせなかった側としても、もし様々な葛藤の中で泣く泣く会食を優先せざるを得なくて、約束を破ることがひどく心地が悪かった、というのが出てくるかもしれない。
 
 
よく忘れ物をするパートナーに、次はチェックリストを作っておこうね、と以前話をしていたのに、チェックリストを作らず再び忘れ物をした
場合であれば
チェックリストを作ってね、と言った側は、以前言ったことが生かされてなく、結果忘れ物が発生していて心地なかった、というのはありそうだ。
それ以外にも、忘れ物とか関係なく、自分の話がちゃんとパートナーに受け止められているように感じないことが、心地が良くない、というのも出てくるかも知れない。
 
忘れ物した側はどうだろうか。
実は、出発間際の時間に終われながら準備するのが心地よくないのかもしれないし、チェックリスト作るというのが億劫で心地がよくなかった、というのが出てくるかもしれない。
 
 
助手席でナビを依頼していたのに、左折のポイントを逃したパートナー
の場合であれば、
ナビを依頼した側は、左折のポイントを教えてもらえず心地がよくなった、というはありそうだ。
それ以外にも、実は助手席で携帯電話ばっかり触っていて、自分との会話の時間を大切にしてくれていないように感じることが、心地が良くないという話が出てくるかも知れない。
 
では、ナビは依頼された側はどうだろうか。
実は、ナビをするのがすごく苦手ナビをすること自体がとても心地がよくない、あるいは、そもそもその日は体調が芳しく無く心地がよくなかった、というのが出てくるかも知れない。
 
 
ゴミ出しをする、という約束が果たされていなくて、
の場合であれば、
ゴミ出しを依頼した側は、約束が果たされていなくて心地がよくなかった、というのはありそうだ。それ以外にも、単純にゴミが溜まったものが家に長くおかれることになるのが、心地がよくない、というのがあるかもしれない。
 
では、ゴミ出しをする側はどうだろうか。
実はその日は重要なプレゼンテーションの日で朝から緊張にしていて心地がよくなかったのかもしれないし、単に朝は寝ぼけてて寝起きに何か依頼されるのが心地がよくないかもしれない。
 
こうして「心地よさ」の尺度でお互いの状況をみてみると、「正しさ」の尺度では見えなかった、今まで気づけなかった様々なことがわかってくる。
 
 

2.お互いの「心地よさ」を、最大化する方法を模索する

 
お互い「心地よさ」レベルが下がっている点がわかったところで、お互いの「心地よさ」が最大化される方法を模索していきたい。
 
「どうやったら、もっとお互い心地よくできるかな?」
で話を始めてみてみよう。
 
ここまでくれば、きっと「正しさ」の尺度で話していた時も、心穏やかにパートナーのことを思いやりながら話ができているのではないだろうか。
 
 

最後に

 
心地よい、幸せなパートナーシップを築く人が世界に増えるといいなと思う。