ひとりで幸せを追求してきた人は、パートナーともより幸せになりやすい説

 
 
旅先で出会う人や、自分の身の回りでパートナーと素晴らしい関係を築いていて幸せな人達のうち、少ない人がかつてはパートナーとの関係にとても重きをおいていた、という訳ではない人が以外にも多くないことにふと気がついた。
 
ある日本の友達は、今のパートナーと出会って間もない頃を思い出して
「もちろんパートナーは欲しいが、別に全部合わせるとかもちろんないし、自分もこれまでも友人関係がそれで損なわれるのとか嫌だし。と思ってた。」
 
また、パートナーと自転車中に出会った、同じく自転車旅をしていた素敵なカップルは、お互いそれぞれに
「自分は人生ずっとひとり生きていくのだと思っていた。それでとても幸せだったし、全くパートナーがほしい。とも思わなかった。今の相手と出会うまでは。」
えー、そんなことある!?素敵すぎませんか?
 
そして、僕のパートナーも、「ひとりの方が自分の幸せだけを考えればいいから、幸せになるのは簡単だと思っていた」と言っている。
 
 
これは、何やら秘密がありそうだ。
ということで、ひとりで幸せを追求してきた人は、パートナーともより幸せになりやすい説について検討してみる。
 
 

幸せをどれだけコントロール可能なもの認識するか

 
まず、最初に思い浮かんだことは、自分の幸せをどれだけ自分のコントロール可能なものと認識しているか、が重要なのではないかと。
 
ひとりで幸せを追求してきた人は、パートナーを強く欲する人に比べて、幸せを自分でコントロールできるもの。という認識をしている可能性が高いのではと。
 
ひとりの場合、自分のことは自分で何でも決定していると感じている割合も高いだろうし、結果に対しても自分が引き起こしたと感じられる割合も高いように感じる。
そういう人が、仮に自分の今の状況が好ましいような幸せな状況じゃなかったとしても、自分が強く自分の幸せに影響できていると考えられているので、自分を自分で幸せにするために試行錯誤するだろう。
 
一方で、パートナー強く欲する人には、一定数パートナーがいれば幸せ、言い換えると”パートナーが自分を幸せにしてくれる”という風に考える人がいるのではないかと思う。
 
その場合、思惑とはずれてパートナーとうまく行かなかった時に、外に原因を求めて、自分の幸せを自分でコントロールできる感が下がり、その結果自分を自分で幸せにしようとする試行錯誤する、とならなくなるのではないか。
 
したがって、ひとりで幸せを追求した人は、自分を幸せにする試行錯誤の経験が多くの、その結果自分を自分で幸せにする能力が高い傾向にあるのかもしれない。
だとするならば、そんな自分で自分を幸せにする能力の高いもの同士がパートナーとなれば、そりゃぁ幸福度も爆上がりするに違いない。
 
 

パートナーに過度な期待していない

 
次に思い浮かんだのが、パートナーへの過度な期待がないことが良い影響を及ぼしているのではないか、という点だ。
 
ひとりで自分の幸せを追求した人は、パートナーの存在が自分の幸せを決定づける大部分だと考える人はおらず、自分を幸せにする要素としては認めているものの一要素として認識している人が多いように思う。
 
そんな、パートナーに過度な期待をしていない人が、思いがけず素敵なパートナーに出会い、パートナーから期待値をはるかに超えるポジティブな影響を受ける時、パートナーの幸せに及ぼす影響を十分に認識して、パートナーシップを大切にするようになるのではないか。
 
 

最後に

 
ひとりでの幸せを追求してる人同士は、パートナー探しに重きを置いていないことが多いだろうが、そんなふたりがそれぞれ本当に素晴らしと思えるパートナー出会うなんて素敵な話である。
 
幸せなパートナーシップを築く人が増えるといいなと思う。