「料理」と「人生」が似ていると思った

 
ふと、「人生」と「料理」が似ていると思った。
それも、「自分で作り、自分で食べて、自分で満足する自己満足の料理」だ。
 
頭の中で考えが整理できなかったので、とりあえず書いてみることにした。
 

「料理」

 
「食材」とは、料理を形成する材料だ。
それぞれ食材には、甘いや苦いといった様々な味がある。
人によって、甘味や苦味の感じ方はそれぞれだし、それを美味しいと思うか、美味しくないと思うかもまた、人それぞれだ。
また、シャキシャキ、コリコリといった食材独特の触感もある。これもまた好みは人それぞれだ。
 
「食材」も、包丁の入れ方ひとつで全く別の顔を見せる。
皮を全てむけば舌触りがいいとか、一部皮を残すことで歯ごたえがよくなるとか。
大きめに切れば食感が楽しめるとか、細かくきざめば舌触りが気にならなくなるとか。
 
「食材」を前にすると、様々な想像をふくらむ。
これはメインに据えた方がよさそうだ、いや隠し味によさそうだ。
熱を加えてみると甘みが増して美味しいかもしれない。
あの食材とマッチしそうだ。など。
 
食材揃ったところで、始まるのが「料理」だ。
出回っているレシピを見れば、それなりに無難で間違いないものが作れるだろう。
また料理には基本というようなものもあるらしく(私は無知だが)、こういう味を出したければ、こういう切り方がいいよとか、味を染み込ませたいなら事前に下味つけとくといいよとか。
 
レシピ通り「料理」するのがおもしろくない、という人もいるだろう。
思いつくがままに、手を動かしながら、「あ、これ入れてみたら美味しくなるかも!」なんていう風に試行錯誤しながら。
レシピ通り作ることに比べて、とんでもない味の料理になることも多いだろうが、誰もが思いつかないようなユニークで美味しい料理ができることもあるだろう。
 
さて、様々な過程を経て「料理」ができた。
自分で味わってみる。ちょっと塩味が足りないかな。と、ふと思う。
そこに通りがかった友人グループが、「料理」の盛り付けを見て色々なコメントをする。
「美味しそう」「こんなの絶対美味しくないじゃん」「何かめっちゃ辛そう」などなど。
 
さて、次回「料理」する時はどうしたものか?
辛そう、という意見もあったし、ちょっと辛味控えてみようかな。いや、でも自分は辛いの好きなんだよなー。じゃぁそのままでもいいか。
むしろ、誰も何とも言わなかったけど、この食材硬すぎたんだよなー。もっと煮込む時間増やした方がいいかな。
いや、そもそも次は違う料理作ろうかな。
 
 

「人生」

 
ここでいう「食材」とは、「原体験」の比喩である。
様々な「原体験」が、自分の好みを教えてくれる。
例えば、「とっても有名な観光名所に来たけど、全然楽しめていない」とか、
「バスの中で知り合った人と意気投合して、故郷の村に遊びにいったことがこの上なく楽しかった」とか、
「どんな過酷な移動をしてても、パートナーが健康で元気だとつらさ半減だな」とか。
 
次に「原体験」に包丁をいれていく。豊かな人生を送るために、この原体験のこの要素は自分の人生には取り入れよう、あるいはこの要素は取り除くとよさそうだ、などという具合に。
例えば「ただ見るだけの観光地は目的地から外し、体験型の旅行にしていこう」とか、
「周りの人に積極的に話しかけて、仲良くなり、その国の生活を体験できる機会を増やす行動をしていこう」とか、
「パートナーの健康には最大限配慮しよう」とか。
 
すると、こんな想像が浮かんでくる。
「体験メインの旅行としつつ、間ではしっかり休養をとる。そして様々な体験をしながら関わる人に積極的に話しかけ、仲良くなることを目指すと楽しい旅行になるんじゃないか」
 
また、世の中にはこのように生きると満足な日々を送れるよ、といったレシピみたいなものが存在する。決して個別の好みにはカスタマイズはされていないが、万人受けするようなレシピだ。レシピは無数にあり、クオリティもピンキリなので何を参考にするかは重要なポイントだ。
 
そして、そんな旅行を実際に計画して、体験して、味わってみる。
「大成功でとても楽しい」「思ったのと違ってイマイチだった」などだ。
 
そして周りの人はあれやこれや言うのだ。
「めっちゃ羨ましい、楽しそう」「そんなの辛いだけで苦行じゃん」「なんか日焼すごそう」などなど。
 
さて、次回「旅行」する時はどうしたものかな?
日焼けすごそう、という意見もあったし、日差しの強いところは避けようかな。
あれ、でもそもそも自分は日焼けとか全然気にしてないよなー、じゃぁ別にいっか。
むしろ、誰も何とも言わなかったけど、お腹くだりまくってたんだよなー。もっと飲料水には気をつけた方がいいかもなー。
いや、そもそも旅行は十分満足したし、次はポーカーでもやろうかな。
 

まとめ

 
的を得ている比喩なのか、どうなのか。
なんだか、イマイチな気もする。
 
 
気がついたことは、
 
自分にとって美味しい料理を作るには、どんな味の「食材」を使っているのか自分が味わっておくことが重要だ。誰かが、あの「食材」美味しいよ、といった情報ではなく。
 
自分のために作る「料理」なら、どう作ろうがどんな味の料理を作ろうが自由だ。また、自分が美味しいかどうか、が何より重要で、他の人にとってそれが美味しいかどうかはいたってどうでもいい。
 
大事なのは、最終的に出来上がった料理の味だけではない。料理を作る過程を楽しめるかもまた同じくらいに重要だ。
 
美味しいと感じるためには、じっくりとその料理を味わう必要がある。どんな美味しい料理も、何かをしながら、心ここにあらずでは美味しいものも美味しいとは感じられない。
 
ひとつの料理をひたすら極めるもいいし、色んな料理を作ってみるもいい。それは趣味だけに限らず、仕事も何もかも。
 
料理研究家のように、あれこれ楽しみながら料理を作る。過程も楽しみつつ、出来上がった料理も楽しむ。
人生もあれこれ試行錯誤しながら、それ自体を楽しむ。そして、達成した事もまた楽しむ。
 
そんな人生を送りたいと思う。