家事分担の実施記録表運用に関して思うこと
家事分担の実施記録表とは?
とある夫婦のお家に伺ったときのこと。
冷蔵庫に下記のようなホワイトボードを見つけた。
自分が見たものは、表になっており、縦軸に家事の項目、横軸に1週間の日付が記載されており、縦軸の家事を行った方が、自分の色のマグネットを貼り付ける。という運用になっていた。
その夫婦に目的を尋ねてみると、「お互いに家庭のためにやっていることを見える化することで、過去に発生した自分だけやっていて相手にはやってもらえていない。といった不満ができないようにするため。」とのこと。
これに関して、「愛を極める」という点においては、効果的でないと感じていた。
もう少し詳しく言うなら、悪い状態を悪くない状態にするには一定効果はありそうだが、愛を極めること(素晴らしい状態のさらに先の先の状態)を目指すことにおいては、効果的でないと感じた。
その時、「なぜ本質的でないと感じるのだろうか?」というのを言語化することを試みた際には、一言でいうと
その運用をしようとする背景に「愛」を感じないから。
という結論に至っていた。
じゃぁ「愛」とはなにか?
となると、具体的に一言でこれ!という定義は見いだせず、「相手を満たすこと」「与えること」「大切にすること」「満たそうとする、与えること、大切にしようとする確固たる立場」というような候補がいくつか出てきたが、一つには決めかねていた。
愛の構成要素である「積極的な配慮」がない
と感じたからである。
パートナーシップとルール
パートナー同士の間において、ルールがなくて問題ないなら、ルールや決まり事は少なければ少ないほどいいと思う。
ルールとはそもそもなぜ作られるのか?
それは、何かの問題や課題が生じた際に、解決するにあたり、今後ルールを作り運用することで同じ問題や課題が発生しないようにうまく機能させる目的であろう。
仕事ならば、別に目的がありその手段としての仕組み化は大いに歓迎されるべきだと思う。
しかし、仕事における潤滑油のような枠割を果たす手段としての意味合いが強い「配慮」が、ことパートナーシップにおいては「愛」(目的)に直結する。
既に良好な状態から、さらに「愛を極める」という点においては、ルールというかっちりしたものでなく、「私はこうしてもらえると嬉しい。あなたはそうしてもらえると嬉しいんだね。」といった相互理解を深め、方向性を決めるといったゆるい状態に留めておき、「積極的な配慮」の余地を残しておくことがいいと考える。特に、お互いが「積極的な配慮」を持ち込みたい分野に関してはルール化しない方がいいだろう。
僕は、仕組み化を否定しているわけでは決してない。
もちろん、仕込み化することが効果的な分野もある。
例えば、僕らの場合だと、スケジュール共有をGoogleカレンダーで行うことだ。
僕らはスケジュールをコミュニケーションを通じて共有することに「積極的な配慮」を持ち込みたいという意思はない。むしろ、外部で何か予定を入れる時に、パートナーとの時間を最大限確保するためのスケジュールを効果的に組みたいと考えるので、スケジュールをリアルタイムで把握できないことは、パートナーとの時間を大切にすることにおいてデメリットの方が極めて大きい。
こういった場合には仕組み化することは、効果的に働くだろう。
実際、僕らはお互いのスケジュールはGoogleカレンダーで共有している。
あらためて例にあげた夫婦について考えてみる。
家事の分野に関して「積極的な配慮」を持ち込みたいという意思がない夫婦ならば、悪い状態から悪くない状態にすることにおいては、効果的に働いているのかもしれない。
しかし、それでもまだ違和感は残る。
例えば、以下のことをルールで決めて運用しようと言われたらどう思うだろうか?
パートナーと毎週金曜日20時〜21時の1時間、夜の営みを行う。
前半20分は◯◯、中盤20分は△△、後半20分は、××する。
きっと多くの人は、そんなことをルール化なんてしてくない。と感じるのではないだろうか。
なぜそんな風に感じるかといえば、その一つの理由に、「愛」と直結する分野において、ルール化しないと成り立たないのであれば、そもそも「愛」を前提としたパートナーとの関係自体に疑問の目が向けられるからではないか。
上記は極端な例だが、僕は同様の感覚をこの家事分担の実施記録表運用について感じていたのだ。
僕は、家事とそれに対する感謝という分野において、仕組みやルールを持ち込みたいたくない。という気持ちがある。
もし仮に、自分が同様な問題に直面して、かつ仕組みで解決するというアプローチをとるとしたら、パートナーとの間で仕組み化するのでなく、自分1人で仕組み化することを選ぶ。
具体的には、1日1回決まった日にアラームを設定するなどして、アラームが鳴ったらパートナーがやってくれた家事に振り返り、感謝の気持ちを伝える。というところ個人で仕組み化するだろう。
そして、その仕組をパートナーとの間に日々感謝の気持ちが充満するという希望を持って運用していく。
僕はパートナーとの間に、ルールらしいルールは一切存在しない。
その結果、僕らの日常には「愛する」ことができる余白がたくさんあり、それにより幸せを感じられる場面が日常生活でたくさんある。
パートナーがご飯を作ってれた、洗濯をしてくれた、ゴミを捨ててくれた。こういったことをしてくれた際に心からの感謝が湧き上がってくる。
そんな深い幸せな気持ちで、日々を満たしていきたい。